2023年10月19日、横浜公演中に体調不良を訴え脳幹出血のため、急逝されたロックバンド「BUCK-TICK」のボーカル櫻井敦司さん。
そんな櫻井さんですが、とても綺麗なお顔でハーフ?と思われた方も多いのではないでしょうか?
今回は櫻井敦司のハーフについてや父親や母親、兄弟についてもまとめましたのでぜひ最後までご覧ください!
- 櫻井敦司はハーフかについて
- 櫻井敦司の父親
- 櫻井敦司の母親
- 櫻井敦司の兄弟
櫻井敦司はハーフ?国籍はどこ?
櫻井敦司さんはハーフでもクォーターでもなく純日本人です。
名前:櫻井 敦司(さくらい あつし)
生年月日:1966年3月7日 57歳
出身地:群馬県 藤岡市
身長:177cm
血液型:O型
愛称:あっちゃん 魔王
所属事事務所:有限会社BANKER(代表取締役)
結婚歴:渡部さゆり(1991年-1992年) 一般女性(2004年-)
子供:息子:遠藤遥(作家) 娘
櫻井さんは群馬県藤沢市が出身地という事で、両親も純日本人となります。
鼻が高く、ホリも深い事から外国の血が入っていてもおかしくない程の整ったお顔ですね。
BOØWYの氷室京介から「お前は顔がいいからボーカルをやった方がいい」と言われたほどだったので、昔から変わらず日本人離れした顔だった事が分かります。
櫻井敦司の父親は既に他界している
櫻井敦司さんの父親は一般人で櫻井さんが18歳の時に亡くなっています。
父親とは櫻井さんの誕生日3月7日と血液型O型が一緒という事で、深い繋がりを感じる親子関係ですね。
また顔立ちが櫻井さんに似ているとの事なので、親子揃って美男子だった事が分かります。
性格については愛情表現が苦手だったとし、お酒を飲むと母親や櫻井さんにDVをする事もあったそうです。
高校時代には、父親を殴ってやろうと思ったこともあったそうですが、殴ったら全てが終わると思い、殴ることが出来なかったとのこと。
この事から、櫻井さんは咄嗟的に物事を行うのではなく、しっかり考えた上で行動することが出来る方だと思われます。
バンド活動が軌道に乗り始めた頃と父親の他界が重なり、上京を躊躇っていたそうですが母親の後押しで上京を決意したそうです。
櫻井敦司の母親
櫻井敦司さんの母親は一般人でBACK-TICKが人気絶頂の1990年(24歳)に逝去されています。
BACK-TICKは「悪の華TOUR」と題した47都市全53公演のコンサートツアーを実施しており、ツアー中だった1990年4月15日に母親が亡くなったことを伝えられたそうです。
櫻井さんはこれから親孝行をしようと思った矢先の出来事だったため、大変ショックを受けツアー中のことは何も思い出せなかったそうです。
また母親の病状や余命についても後述する兄は知っていましたが、心配をかけたくないという思いで、母親の病については知らされていなかったとのこと。
きっと母親が亡くなった時は相当精神的に参っていたのではないでしょうか?
のちに櫻井さんは母親のことを題材にした「さくら」「JUPITER」という曲をアルバムに収録しています。
櫻井敦司の兄弟
前述したように櫻井さんには兄が1人います。
名前は櫻井宏志さんです。
兄とは2歳差という事なので、2023年時点で58歳or59歳です。
現在は、地元藤岡市内で運送業の配達員として勤務しています。
櫻井さんが上京した前後の時期から約10年間、絶縁状態でしたがのちに和解。
1994年に櫻井さんがフジテレビ「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出演した際には兄から花環が贈られていました。
兄・宏志さんの自宅にはBACK-TICKのカレンダーや櫻井さんプロデュースの招き猫「来未招猫」などが飾られており、陰ながら弟を応援している事が分かります。
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まとめ
今回は櫻井敦司のハーフについてや父親や母親、兄弟についても見ていきました!
とても綺麗な顔でハーフだと思っていましたが、実際は純日本人という事に驚きです。
また兄の櫻井宏志さんも櫻井さん同様とてもかっこいい方という事が分かりました。