2023年3月WBC(ワールドベースボールクラシック)が開幕しました!
大谷亮平選手を始め、数多くの主力選手が名を連ねる中、栗山監督の存在感に注目している方も多いはず!
そんな栗山監督の現役時代の活躍はどうだったのでしょうか?
今回は、栗山監督の現役時代についてと、引退の理由についてまとめましたので、ぜひ最後までご覧ください!
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栗山監督のWikiプロフィールまとめ
元々野球を始めたきっかけは、栗山監督のお兄さんが野球をやっていたことから始まりました。
小学生から軟式野球を始め、中学3年生の時に、地元のポニーリーグチームに所属。
投手として日米大会に出場。
その大会でなんとMVPを獲得します!
大会後、創価高校野球部から熱烈なスカウトを受け、甲子園を目指す決意をします。
高校時代は、1年目からベンチ入りし、高校3年生になると主将兼エースとしてチームを引っ張っていきました。
目標としていた甲子園出場の夢は達成する事はできませんでしたが、「高校時代に学んだ事は僕のベースになっている」と栗山監督にとって大きく影響を受けた3年間だったこと語っています。
その後は、教師を目指すため東京学芸大学教育部に入学します。
大学では、硬式野球部に入部。
投手・内野手として活躍しました。
また東京近隣地域の大学の硬式野球部が所属する「東京新大学野球連盟」では投手として1年、2年春のシーズンをリーグ制覇。
しかし右肘の故障が原因で、野手へ転向することとなりました。
「東京新大学野球連盟」での成績は、投手として25勝8敗。
打者としては打率.389という輝かしい成績を残しました。
在学中に教員免許を取得。
教員の道へ進もうと決心していましたが、再び野球をやりたい気持ちが出てきて、社会人野球の企業チームである「朝日生命硬式野球部」に入り、プロチームの入団テストを受け、ヤクルトスワローズへのドラフト外入団が決まりました!
ちなみに栗山監督の教員免許の科目は健康科学なんだそうです。
スポーツ科学・栄養学・保健学なので中学・高校で言うと保健体育の先生ですね!
続いて栗山監督の現役時代を見ていきましょう!
栗山監督の現役時代
栗山監督は29歳の時に現役を引退されており、プロ選手としてはわずか7年という短い期間での活躍でした。
そんな栗山監督の現役時代をまとめてみましたので一つずつ見ていきましょう!
現役1年目【一軍デビュー】
当時野球評論家として活躍していた佐々木信也さんの目に留まった栗山監督は西武・大洋・ヤクルトの入団テストを受け、ヤクルトだけ見事合格。
教員免許を持つプロ野球選手としてデビューを果たしました!
プロ1年目にして、守備の華とも言われる遊撃手として一軍で活躍。
しかし、別次元のプロの世界を目の当たりにし、1年目は早く野球を辞めたかったそうです笑
やはり、学生時代の野球とプロの野球は選手のモチベーションも違いますし、厳しい練習に耐え抜いた者だけが生き残れる世界だと思います。
並大抵の気持ちでないと心が折れてしまうのでしょう。
メニエール病を発症
プロの世界でがむしゃらにやればいいんだと、前向きに進もうとしていた矢先、メニエール病になってしまったのです。
メニエール病とは
体の平衡感覚をつかさどる内耳にリンパ液がたまり発症する病気です。
症状は、めまい・吐き気・耳が聞こえにくい・耳鳴りなど。
現代において、生活習慣の見直しや薬で改善することもありますが、根治が難しい病気とされています。
栗山監督は、当時のことをこう振り返っています。
「メニエールになった時に野球はもうできないって思ってて、1人だけキャンプ行かなかったりとかいろんなことがあったんですけど、実際にグラウンドに苦しかったんですけど戻れたときに、なんか野球やるのが凄い楽しくて。なんか“結果いいじゃん、野球思いっきりやろう”って病気がなんか思わせてくれたっていう」
立っていることもままならない病気ですが、試合中にめまいが起こっても首脳陣には隠し我慢をして試合に出続けていたそうです。
発症した年、外野手として一軍でスタメン出場を果たし、ジュニアオールスターゲームに出場。
シーズンオフに三半規管を麻痺させる治療を受け、症状を抑えていたそう。
しかし、シーズン終盤に再びめまいや立ちくらみの症状に悩まされ、長期入院をすることになりました。
いつ症状が発症するかわからないという不安の中で入院していた時、同じ病院に入院していた子供たちが自分よりも重い病と闘っていることを知ります。
栗山監督は、自分の考えの甘さに気づき「再び発症してもしょうがない。野球に全力を尽くそう」と野球を続けることを決意します。
病の重さは比べる必要はないと思いますが、結果的に栗山監督の野球魂を再燃させるきっかけだったんですね!
ゴールデングラブ賞を獲得
メニエール病が影響し、1987年のアメリカ・アリゾナ州のユマキャンプには参加できず、開幕には間に合ったが打診不振でレギュラーを外されることに。
再びレギュラーになるべく、猛練習を重ね1988年の開幕では1番・中堅手に定着し数多くにヒットを打ち、打率.331を記録しました!
1989年も中堅手としてレギュラーに定着。
シーズン序盤は、打率3割以上を維持していたが6月にメニエール病を再発。
8月以降は先発を外れ、100%の実力を出し切ることができませんでした。
しかし初めて規定打席に到達し、守備範囲の広さを評価されゴールデングラブ賞を獲得しました!
ゴールデングラブ賞とは
毎年リーグごとに、守備のベストナインに選ばれた選手に与えられる賞です!
病と戦いながら、レギュラーに定着し名誉ある賞を獲得するなんて、相当な努力をされていたのだと思います!
この粘り強い努力は、のちの監督人生に大きく影響しているのではないでしょうか?
栗山監督の現役時代の年俸
栗山監督の現役時代の年俸は1年目が300万円だったものの、7年目には年俸2,000万円となります。
ちなみに監督時代の年俸は7,000万円です!
引退の理由は?
栗山監督はゴールデングラブ賞を獲得した翌年1990年に現役を引退しています。
理由は、
- メニエール病
- 右肘の故障の再発
現役時代ほとんどの時間をメニエール病と闘ってきた栗山監督。
1990年野村克也さんが監督就任すると、柳田浩一(現:柳田昌夫)さんにレギュラーを奪われてしまいます。
それでも、試合中は活躍の場があったりと最後まで諦めることのない精神力でプレイをしていましたが、古傷の右肘の故障も再発し、この年限りで現役を引退しました。
栗山監督の引退後の活動
引退後は前述のWikiでも記載した通り、野球解説者や監督にも就任し輝かいキャリアを積んでいます!
スポーツキャスター【1991〜2011年】
引退の翌年1991年から2011年までは野球解説者・スポーツキャスターとしてメディアにも出演されていました!
- テレビ朝日出演番組 「スーパーベースボール」「GET SPORTS」「報道ステーション」
- TBSテレビ出演番組 「JAPAN MAJOR BASEBALL」
- TBSラジオ出演番組 「エキサイトベースボール」「栗山英樹のDream Navigation」
他にも数多くのラジオやテレビ番組に出演しており、野球中継を見たことがある方なら一度は栗山監督を目にしたことがあるのではないでしょうか?
大学の教授として活動【2008年〜】
栗山監督の母校でもある、東京学芸大学の講師を務め、少年野球の普及と育成に尽力。
2004年からは白鷗大学の助教授、2007年からは准教授。
そして2008年には教授に昇進。
経営学部教授としてスポーツメディア論などを教えていたそうです。
大学在学中に目指していたもう一つの夢を、ここで叶えられるとは栗山監督の行動力に頭が下がります!!
観光大使に就任
栗山監督と同じ名前という縁で、北海道の栗山町から観光大使を依頼され、そこから交流が始まりました。
栗山町の方々と交流を深め、なんと自身の私財で球場を設立したそうです!
その名も「栗の樹ファーム」
天然芝で、とうもろこしやひまわりを外野フェンスに見立て、自然豊かな球場になっています!
球場に隣接するログハウスは野球グッズの展示場になっており、中には大谷翔平選手が使ったバッドも置いてあるとのこと。
野球ファンとしては、北海道に行った際は必ず訪れたい場所ですね!
日本ハムファイターズの監督に就任【2012〜2021年】
2012年〜2021年までの約10年間、北海道日本ハムファイターズの監督としてチームを牽引していました。
栗山監督は、就任1年目でリーグ優勝を果たし、その年の日本シリーズでは日本一達成とはなりませんでしたが、2016年再び日本シリーズへの出場権を獲得。
広島東洋カープと対戦し4勝2敗で、日本ハムとしては3度目、栗山監督としては初の日本一を獲得しました!
現役時代には見られなかった景色を、監督という新しい形で見ることができるのはとても素晴らしいです!
引退してからも野球に携わりたいという強い気持ちがないとできませんよね!
侍ジャパンの監督に就任【2021年〜】
2021年、栗山監督が日本代表監督を務めることが発表されました!
栗山監督は、インタビューで
「ファンに楽しんでもらうために、勝ち切るしかない。それだけを考えてやっていく。選手たちを、心から信頼し、その能力を最大限に引き出す事で世界一を奪還する」と熱い思いを話しています。
就任からWBCまでわずか1年という短い準備期間ですが、思いを現実にするべく動き続けた1年間だったのでないでしょうか?
栗山監督の学生時代からの凄まじい行動力なら、チームを動かし世界一を獲得できると思います!
まとめ
今回はWBC日本代表の栗山監督の現役時代や、引退後の活動について見ていきました!
現役としては7年という短い期間だったのにも関わらず、今や現役時代を超える年数で、精力的に野球に携わっている栗山監督は、野球ファンに勇気と希望を与える方なのだと思います。
今後の栗山監督の活躍にも注目が集まりそうですね!
名前:栗山英樹
生年月日:1961年4月26日
出身地:東京都小平市
身長:176cm
体重:74kg
血液型:A型
出身高校:創価高等学校
出身大学:東京学芸大学
1984年ドラフト外でヤクルトに入団。
1989年にはゴールデン・グラブ賞のタイトルも獲得。
1990年に現役引退後は、野球解説者として活躍し2012年からは日本ハムの監督に就任。
就任1年目から優勝。
2016年には日本ハムを10年ぶりに日本一へと導いている。
日本ハム監督後は、2022年から侍ジャパンの監督に就任。
また新しく新設されたポスト、日本ハムのプロフェッサーにも就任。