八戸学院光星の野球部エース洗平比呂(あらいだい ひろ)さん。
高校1年生から甲子園に出場。
チームを牽引し勝利に貢献している、手足の長い最速147kmの左腕投手です。
そんな洗平比呂さんですが、父親が元中日の投手である事が分かっています。
父親がどんな人物なのか気になる方も多いのではないでしょうか?
今回は洗平比呂の父親についてや、現役時代の成績、現在の職業もまとめましたのでぜひ最後までご覧ください!
- 洗平比呂の父親について
- 洗平比呂の父親の現役時代の成績
- 洗平比呂の父親の現在の職業
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洗平比呂の父親は元中日の洗平竜也!
洗平比呂さんの父親は中日ドラゴンズの投手だった洗平竜也さんです。
名前:洗平 竜也(あらいだい たつや)
生年月日:1979年1月9日 45歳
出身地:青森県上北郡六戸町
身長:178cm
体重:75kg
出身大学:東北福祉大学
出身高校:光星学院高等学校
ポジション:投手
プロ入り:2000年
所属チーム:中日ドラゴンズ(2001年-2003年)
高校1年生の夏からエースとして活躍。
サイドスローから最速142km/hのストレートを投げる速球の左投手でした。
これにより、日本のプロ野球スカウトから注目されるようになります。
東北福祉大学に入学すると、千葉ロッテマリーンズや阪神タイガースで所属していた吉見祐治さんと同期に。
入学当初は公式戦への登板はありませんでしたが、大学3年以降は吉見さんに次ぐ活躍を見せ、春季リーグで優勝。
吉見さんと最優秀選手となり全日本大学野球選手権で準優勝しています。
大学4年になり、ドラフト会議の逆指名制度を通し中日ドラゴンズに入団。
背番号32でプロ入りを果たしています。
洗平比呂の父親の現役時代の成績
洗平竜也さんの現役時代の成績はこちら↓
- 一軍の公式戦への出場は無し
- 2003年に戦力外通告を受ける
一軍の公式戦への出場は無し
洗平竜也さんは、1軍の公式戦への出場はありません。
大学4年時に開催された、明治神宮野球大会で北海学園大学打線から19三振を奪い、大活躍を見せプロ入りを果たしています。
ですがプロ入り直後からブルペンに入るたびに、ボールを思い通りに投げられない状態に。
2001年の春季キャンプの初めは1軍でしたが、中盤から2軍に回っています。
2002年は10試合に登板するも、投球の改善は出来なかったようです。
のちに、突如自分の思い通りのプレーができなくなる症状「イップス」が原因であると言われています。
イップスとは
極度の精神的ストレスによる運動障害の一つ
無意識に筋肉の硬化が起こり、思い通りのパフォーマンスができない症状
2003年に戦力外通告を受ける
洗平竜也さんは2003年秋に球団から戦力外通告を受けます。
高校1年生からエースとして活躍するも、夏の甲子園では3年連続、甲子園に立つ事ができませんでした。
プロ入りしてからもオープン戦やウエスタン・リーグの公式戦でも甲子園に立つ事ができず、「不運のエース」とも言われていました。
プロ入りしてわずか3年で戦力外を受けるとは洗平竜也さん自身が、一番悔しい思いをしているのではないでしょうか?
ですが、その後、息子の洗平比呂さん、歩人さんが甲子園出場を果たしてくれています。
洗平比呂の父親の現在の職業
洗平竜也さんは、プロ野球引退後、会社員の傍ら野球の指導者として活動されているようです。
中日ドラゴンズを退団後、愛知県内で会社員として勤務。
その傍ら、2004年から2007年まで社会人野球の硬式野球クラブ「東海REX」でプレー。
その後は、会社員として働きながら長男が所属していた少年野球チームでコーチを務めています。
日本学生野球協会から学生野球資格回復の適性を認定され、高校、大学の硬式野球部での指導が出来るようになっているそうです。
2024年現在、どのように野球と携わっているかは不明ですが、指導者として日本の野球界をサポートしているのではないでしょうか?
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まとめ
今回は洗平比呂の父親についてや、現役時代の成績、現在の職業も見ていきました!
洗平比呂さんの父親は中日ドラゴンズの投手だった洗平竜也さんです。
現役時代は思い通りにボールが投げられなくなり、1軍の公式戦への出場はありません。
現在は、会社員の傍ら野球の指導者としても活動されているようです。