2023年後期のNHK連続ドラマ小説「ブギウギ」
銭湯の看板娘だった主人公が戦後の大スター歌手となっていくフィクションドラマです。
そのモデルとなるのが戦前から戦後に活躍した「ブギウギの女王」こと笠置シズ子(かさぎ しずこ)さん。
笠置シズ子さんとはどのような人物でどんな経歴をお持ちなのでしょうか?
今回はブギウギのモデル笠置シズ子のwikiプロフィールや経歴、結婚歴についてのまとめましたのでぜひ最後までご覧ください!
- ブギウギのモデル|笠置シズ子のwikiプロフィール
- ギウギのモデル|笠置シズ子の経歴
- ブギウギのモデル|笠置シズ子の結婚歴
- ブギウギのモデル|笠置シズ子を演じる趣里について
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ブギウギのモデル|笠置シズ子のwikiプロフィール
本名:亀井 静子
生年月日:1914年8月25日
死没:1985年3月30日 70歳で死去
娘:亀井エイ子
出身地:香川県大川郡相生村(現:東かがわ市)
出身校:松竹楽劇部生徒養成所(日本歌劇学校の前身)
ブギウギのモデル|笠置シズ子の経歴

ブギウギのモデルとなった笠置シズ子さんの経歴を時系列でまとめましたので、順に観ていきましょう!
笠置シズ子の幼少期
笠置シズ子さんは生後間もなく父親(三谷陳平)が亡くなり、母親(谷口鳴尾)はシズ子さんを連れ実家に戻りましたが乳の出が悪く、偶然出産のため帰省していた近所の米屋の女性(亀井うめ)に貰い乳をしていたそうです。
結局その女性がシズ子さんの養女となり、養母が住んでいた大阪市で暮らす事となります。
またシズ子さんが自身の出生について知るのは、18歳のころだったそうです。
事実を知ってから実母の元へ訪れますが、知らないフリをした実母を見て親子である事を告げずにその場を去ったとのこと。

切ない話ですね。。。
笠置シズ子の子供時代
笠置シズ子さんは発育が悪く、体が弱かったせいで医者に幾度と世話になっていました。
そんなシズ子さんを見かねた母親は大人になってから困らないようにと日本舞踊を習わせることに。
また米屋を営んでいた養父・亀井音吉は米騒動に嫌気がさして廃業。
シズ子さんが小学生になった頃に、風呂屋を開業します。
開業した風呂屋で得意の踊りや歌唱をしていると近所の評判となり、劇団や演劇会から声が掛かり子役として出演していたそうです。
笠置シズ子の松竹楽劇部生徒養成所時代
小学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校を受験。
ですが、背が低い事と痩せ型のため学校生活に耐えられないと判断し不合格となってしまった笠置シズ子さん。
ですが、同じ内容が学べる松竹楽劇部生徒養成所がある事を知り受験し見事合格。
養成所に入学後、娘役「三笠 静子」の芸名で「日本八景踊り」で初舞台を果たします。
1934年(20歳)には「恋のステップ」でレコードデビューを果たし、三笠 静子から笠置 シズ子へと改名。
改名理由については、皇族の三笠宮家に恐れ多いと思い改名する運びとなったそうです。
笠置シズ子がブギウギの女王に
第二次世界大戦によって踊ることや歌うことに制限があった厳しい時代を乗り越えた笠置シズ子さん。
1945年(31歳)の頃、再開場した日本劇場の最初のショーに出演。
1947年(37歳)の時に「踊る漫画祭り・浦島再び龍宮へ行く」で歌った、服部良一さんが作曲した「東京ブギウギ」が大ヒット。
服部さんはシズ子さんのほとんどの楽曲を手掛けており「大阪ブギウギ」「買物ブギ」などヒットさせ「ブギの女王」と呼ばれるようになります。
笠置シズ子が女優に転身
1957年(43歳)に歌手としての引退を宣言。
理由としては「太りかけたから」だったとし、「太ってきたのは動けていないから。自分の一番良い時期を自ら汚す必要はない」と話しています。
その後女優業に専念。
引退後は公私問わず、鼻歌に至るまで一切歌を歌わなかったそうです。

シズ子さんは意思がかたい人で、生き様がかっこいいですね!
シヅ子さんは得意の大阪弁を活かし軽快な演技で数多くの作品に出演。
1971年(57歳)からは、カネヨ石鹸の台所用クレンザー「カネヨン」CMのおばさんとして親しまれていました。
笠置シズ子の晩年

ラジオドラマ「雨だれ母さん」のレギュラー出演をしてからは映画やドラマに出演。
お母さん役として知られるようになります。
1980年(65歳)ごろから、体調を崩し1985年3月30日70歳で卵巣癌のため死去しました。
作曲家の服部良一さんの伝記ドラマ「昭和ラプソディ」に笠置シズ子役で出演している研ナオコを入院先の病院で観ながら「日劇時代は楽しかったね」とポツリと呟いたのが、シヅ子さんの最期の言葉だったそうです。
自身が一番輝いた時代を思い出しながら、永遠の眠りについた笠置シズ子さんはとても良い人生だったのではないでしょうか?
ブギウギのモデル|笠置シズ子の結婚歴
笠置シズ子さんは生涯独身でしたが、娘が1人います。
1943年6月、笠置シズ子さんは名古屋で公演中だった先輩役者を訪ね、娘の父親である吉本穎右さんと出会います。
吉本穎右さんは19歳で早稲田大学の学生だったとの事。
シズ子さんの娘が「母にとって男性は父(穎右)だけだったでしょう。吉本穎右一筋の人でしたから」と話している事から、相当惚れていたのだと思われます。
ですが吉本穎右さんの母親(吉本興業創設者)が2人の結婚に反対し、すんなり結婚とは行かなかったそうです。
吉本穎右さんは母親に結婚を認めてもらうため、大学を中退し吉本興業で働く事にします。
その後シズ子さんの妊娠が分かると、結婚を認めてもらえることに。
ですが、吉本穎右さん24歳という若さで結核のため亡くなってしまいました。
吉本穎右さんが亡くなった数日後に女児が誕生。
穎右さんの遺言通り娘の名前をエイ子と名付けたそうです。
その後シズ子さんは結婚することはなく生涯独身を貫いたそうです。
シヅ子さんは穎右さんと初めて会ったときに、穎右さんからもらった名刺を肌身離さず亡くなる時まで身につけていたと言うことなので、愛情の深さを知る事ができます。
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まとめ
今回はブギウギのモデル笠置シズ子のwikiプロフィールや経歴、結婚歴について見ていきました!
ドラマ「ブギウギ」は2023年10月2日(月)から放送されています。
どのような物語になるのか今から待ち遠しいですね!